3月11日。
僕たちは、過去に類を見ない経験をしました。
それは、東北の人たちだけではありません、
東京にいる僕にとっても、生まれて初めての経験でした。
地震の大きな揺れで、初めて「死ぬかもしれない」という考えが頭をよぎりました。
交通機関が止まり、電話が一切通じないという経験をしました。
お米やトイレットペーパー、乾電池やガソリンが売り切れ、普段の生活はあっさりと崩れ去りました。
それから連日連夜、東京も余震で揺れ続けています。
今回の大震災は、きっと東京に住む人たちにとっても、
一番近くまで「死」が迫ってきた出来事だったと思います。
でも。
今から3ヶ月後、いや、1ヶ月もしないうちに、
再び、僕たちは、襲われることになるでしょう。
それは、今回の災害のように大きく、激しいものではありません。
むしろ、正反対と言っていい、穏やかな波です。
しかし、場合によっては、
生きている人間を生きたまま死人にしてしまうほどの大きな力を持っています。
その波の名は
「日常」
です。
僕たちは、
いつか死ぬのだということを、
そして、「死」は突然やってくるという事実を忘れ
「日常」という波に飲み込まれていくことになります。
もし、それを防ぐ方法があるのだとしたら、
それは、「今」という時間を利用するしかありません。
「自分はこのままでいいのか」
「たった一度の人生でやり残したことはないのか」
「やらずに後悔していることはないのか」
これらは、今までの日常生活では何の意味もなかった月並みな言葉です。
しかし、
月並みではない状況の今だからこそ、大きな意味を持ちます。
僕たちは、これほどの未曾有の大災害を「利用」して
ここで「自分の人生」というものを徹底的に見つめ直すべきなのです。
急がなければなりません。
昨日、渋谷の街には人が溢れ、店は電気を落としながらも通常通り営業していました。
それは、多くの人が待ち望んだ光景ではあったけれど、
同時に、3月11日以降に感じた危機感を忘れ始めているようにも見えました。
同じニュースを繰り返したり、普段通りのバラエティ番組を放送し始めたテレビは、今は一度消してください。
今、見るべきは――「自分」です。