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例えば、釈迦が言っているように、「執着することがすべての苦の根本である」というのは正し いのだが、では「非執着」がよいのかというとそうではない。「執着するな」と言うと、たとえば「お金に執着するな」という場合、これを「金にこだわるのが よくないので、すべてを投げ捨てて、裸一貫になればよいのだ」と思う人が必ず出てくる。しかし、お金をすべて捨てたところで何も起こらない。この人は、 「非執着」という「新たな執着」に取り付かれているにすぎない。人は万事、この調子で誤解を重ねる。「人の役に立ちたい」などと公然と言っている連中の欲 深さ、強欲そうな顔を思いだしてみたらよい。
(reretletからリブログ)