マツコ「ていうか、山形なんてみんなすることないから、童貞捨てるの早いんじゃないの?」
峯田 「周りはそうでした。僕は遅かったです。東京来たらちょっとは変わるかと思ったんですけど、変わんないすね」
マツコ「みんなそういう幻想を抱くけど、それね、逆なのよ。東京ほど、アンタみたいなのが変わらないでいられる街はないわよ?例えば山形にいたら、矯正されてたと思うのよ」
峯田 「ああー、そうですね!」
マツコ「周りがほっとかないじゃない?無理矢理、役場かなんかで働かされて、結婚もして、今頃ちゃんと生きてたと思うのよ。東京って、病気の人は一生病気でいられる街よ。で、肥大するのよ、その病んでる部分が。でも、だから面白いんじゃない?」
このやりとり、僕は今年最も、「あ、そうか!なるほど!!」と目からウロコだった。東京という街について、その魅力というか魔力について、頭の中で はモヤモヤとわかっているようでうまく整理のついてなかったことがようやくはっきりとしたものになった。そうだよ。そういうことなんだよ。
ロックが好きで、小説家になりたいと思って上京してきたオカムラ少年は目が出ないまま30を過ぎてそれでもまだ小説家志望のまま。
趣味は山のようにCDを買い漁ること。狭い部屋の中で本とCDに囲まれて暮らしている。東京のアパートで1人暮らし。結婚するあては全くなし。自分にとっ てそれが居心地よいのなら、そのままその殻の中に閉じこもっていられる。いろんなモノがあって、いろんな情報があって、そこに触れているだけでなんだか満 たされているような気持ちになる。「それって錯覚なんだよ」って腹の底ではわかってるつもりなのに、東京と繋がっているという感覚・感触は妙に心地よくて 離れられない。
そう考えたとき、東京って街は麻薬だ。その気なら、40を過ぎてもこのままでいられるだろう。何が恐ろしいかって、ここには「仕事」もたくさん集 まっていて、働くのならむしろ東京じゃないと不便だ、ぐらいに集約していることだ。稼いだ金で真夜中や週末に自分の殻をせっせと紡いでいく。その循環を永 遠に繰り返していくことができる。「いいじゃないか、自分が働いた金でやってるんだから」と言い訳になる。金さえ払えば、自分というものを変えなくても、 いくらでも生きていける。上っ面を他人に合わせていくことができたら、自分の中の「隠している」部分はいくらでも育てていくことができる。あるいは、他人 とうまく生きていくことができないとしても、この東京にはいくらでも隙間があって、その中でひっそりと生きていくことができる。東京は病んでいる人が多そ うで、ゾッとした気持ちになる。
少なくとも今、僕は、ゾッとした気持ちになった。僕はなんて場所に住んでるんだ?今すぐここから、出て行ったほうがいいんじゃないか?ああ、でもそれはで きない。じゃあってんで青森に戻ったところで、いろんな意味であそこでは生きていけない。生きていくことそのものは可能だけれども、僕は腑抜けになってし まうだろう。
中毒。よく言って、東京依存症。この街に溢れ返っている個々のモノと情報を超えた何か、素晴らしい何かが、すぐ先に待ち受けているようで。いつの日かそいつが目の前に現われるのを夢見て、僕は毎朝毎晩通勤電車に乗っているわけだ。
もう、何年も。
これから先、何年も。
(taisukeorgからリブログ)